評価のための授業はアカンで
子どもらの通知簿やら、高校受験の内申点をつけるのに「評定」っちゅうのを出すんやけど、その評定いうんは各教科ごとに設定された観点別「評価」に基づいて出すことになってるんです。
観点別評価いうんは、文科省が「学習内容に対する個々の到達度を授業者が知り(保護者や子どもたちに知らせ)、課題を見つけて学習活動の改善を図る」っちゅうて各教科ごとにいくつかの項目を設けたもんです。
煩雑この上ない!
学校現場では、評価のための授業になってしもォてる。
本来、授業いうんは、授業者の「この教科(単元)でこういうことを教えたい」いう熱い思いで行われるもんやし、そういう授業やから面白くもなるもんやと思う。
もちろん、政治的な思想を強制するのは論外やし、受験に困らんように教科書に準じたもんやないとあきません。
せやけど、評価のための授業になってしもォとるんです。
おまけに、真面目に観点別評価に基づいて出した評定が、えらいことになってまうことが多々あるから困ったもんや。
例えば、定期テストが95点やけど、授業態度が悪いし提出物が全く出せてないから評定が「3」いうのがあったりするけど、おかしな話や。
それって、授業者の指導力がないだけやん。
授業態度ぐらい正させんかいな。
未提出を放置したらアカンわ。
逆に、70点ほどしかないけど「5」とか・・・
そんなけったいなことになってまうのも珍しくない。
けったいなことは、まだある。
到達度を知るための「絶対評価」やねんから、それに基づいて評定を出したとき、「5」やら「4」がゾロゾロ出てしまうこともある。
それって、授業者と子どもらの努力の賜物のはずやのに、「それはアカンやろ」ってなことになったり・・・
まぁ、これは高校受験で内申点と当日のテストの得点が合算される地域の話やけどな。
ところで、観点別評価に「意欲」があるんやけど、これなんか宿題を仰山出して提出できたかどうかで見ることもあるようやけど、そもそもが学習内容があんまり理解出来てへん子にしてみたら、えらいこっちゃ。
家で自力で出来へんのやから、提出出来るはずあらへんやん。
浮上のしようもあらへん。
学習内容の到達度は、テストで知ることが出来る。
基本、評定はそれでええと思う。
ほんなら、学力に応じた評定になるやん。
厳しいけど、現実に向き合わせるんも大切なことやと思う。
せやから、たくさんの話をしたらなアカン。
授業中にも出来るし、学校生活の中の隙間時間なんかを使ォて、叱咤激励したり、人生を語ってやったり、出来ますやん。
せやから、学校の先生には、評価のための授業やのぉて、熱い授業をして欲しいなァと思うんです。