通級教室より その2
ちょっと変わった子
自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如多動性障害(ADHD)など、いわゆる発達障害や起立性調節障害(OD)というものは、私が若い頃の学校現場では、「病気」として認識し対応するものではありませんでした。
「あの子には、こんなふうに対応してやらなければいけないなぁ」とか、「この子のこういうところをよく見てやらなければいけないなぁ」などと、生活指導や教科指導上、何らかの配慮をしてやるのがよかろうという生徒は各クラス数名はいたと思いますが、それは「病気」ではなく、「ちょっと変わった子」という認識です。
ですから、当時私たちがしていた配慮は、思い起こしてみると、的を得たものであったこともあるし、カタチだけの支援にしかなっていなかったというケースも多々あります。
障害であることが周知されたが
種々ある発達障害の特性に関する知識を持たず、それどころか発達障害の存在すらよく知らず、経験だけに頼っていたのですから当然のことです。
しかし、平成19(2007)年に特別支援教育が学校教育法に位置付けられ、その頃を境にようやく発達障害についても広く周知されるようになりました。
現在では、書店には発達障害に関する書籍コーナーが設けられていたり、インターネットで様々な知識や情報を得ることが出来ます。
ですから、発達障害ひとつひとつについての特性や対応法については、後々述べさせていただきます。
発達障害とは、認知の仕方(感じ方・考え方)に特性(クセ)があるが故に人間関係にトラブルを生じさせたり、日常生活に支障をきたしたり、学習面が困難になるというものです。
しかし、子どもたちは自分の特性について無自覚であることも多く、「僕(私)はどうして○○が出来ないんだろう」と、困り果て、苦しんでいるというケースがよく見受けられます。
そういう子どもたちを目の前にして、「どのようにしてやればいいのだろうか」、「この子に出来ないのは仕方がない」などと、私たちは頭を悩ませたり、諦めにも似た気持ちを抱いてしまうことがあります。
「発達障害のこの子には、無理」
「何をさせても無駄」
「無視する(好きにさせる)しかない」
という諦めの気持ちです。
希望をもつこと
自分がそんなふうに見られていれば、誰だってやる気をなくしてしまいます。
自分に自信を持てないでいる子どもたちにすれば尚更です。
発達障害は、「○○が出来ない」というものではなく、「○○が苦手である」だけで、時間をかけて適切な支援をすれば、「出来ない」が「出来るようになる」ものです。
子どもたちの「育ち」に希望をもって支援することが大切です。
諦めは、子どもたちの「育ち」を抑え込んでしまいます。