スマート=薄っぺら
ここ数年、学校ではスマートな授業が盛んに行われるようになってきた。
PCを使って映像を駆使したり、子どもたちに「本時のめあて」なるものを示したりした予定調和の授業。
つまらんなぁ。
「今日は何の話やろ?」
「あァ、そういう話やったんか」
生徒のたちばからしたら、そういう進め方の方がオモロイ思うんやけどなァ。
ほいで、授業の途中では「では、・・・についてグループで考えてみよう」というコーナーを作るのがいいらしく、その方が、子どもたちも退屈せず考える力がつくらしい。
でも、せっかくグループを作ってもボンヤリしてる子はおる。
スマートな授業の発表会を観に行ったことがあるけど、授業者にはそういう子は見えんらしい。
そもそもが、そういう子には考える意欲があらへんし、考えるにも知識が乏しい。
せやのに「考える力をつけるために」って、一体何なんやろ・・・
それよりも、50分(小学校なら45分)っちゅう限られた時間しかないんやけど、授業者がいろんな話をしながら、子どもらを引きつけて、疑問を拾い出して、考えを求めるっちゅうやり方の方がええと思う。
「先生、授業で教えて貰ォた貿易のこと、昨日のニュースでやってたで。日本はアメリカに自動車の関税をなくして欲しいけど、アメリカは困るんやろ?逆にアメリカは日本に米とか農畜産物の関税をなくして欲しいけど、それやったら日本か困るんやろ?」
間もなく授業が始まろうかというとき、教室に向かう私を見つけた○○が駆け寄って来て捲し立てた。
授業で得た知識が、世の中の出来事と一致したのが嬉しかったのだろう。
「FTAとかTPPとか・・・」
「WTOやァ」
周りにいた者たちも口々に自分の知識を披露し始めたので、私もついつい話に乗ってしまい、始業チャイムが鳴るまで話し込んでしまう・・・ そんなことが、よくある。
こういうのは社会科の特性かもしれないが、授業の1時間の中で、教えたことを完結させる必要などないと、私は思う。
如何にして「へェ、なるほど!」「そうなんやァ」と思わせながら授業を進めるのか。
それが学びの種蒔き。
種蒔きさえしとったら、学ぶ意欲は湧き出てくるもんや。
いくら上手に、スマートに、授業内容をまとめとっても、淡々と話してるだけやったら、特に、学習意欲の低い子には入らへん。
落語とか、講談とか、漫才とか、吉本新喜劇みたいに、笑いやら緊張感、間とか、オチがないと、学習意欲の低い子らの「琴線」に触れることは出来へん。
社会科の教科書を通して、世の中のことを語る・・・ っちゅうのが、社会科の授業や。
そもそもが、地理で世の中の横の繋がりを学び、歴史で縦の繋がりを学んで、縦と横の織りなす布・・・ つまり、公民で今生きてる世の中を学ぶんが社会科やねん。
社会科=生きる科やな。
ほいで、学ぶ意欲を持たせんねん。
つまり、人生も語るっちゅうこと。
ま、元気な授業せなあきません。