学校は子どもたちの育ちの場だ

学校は、子どもたちが、心 ー 人や物事と繋がる事の出来る頑強でしなやかな心 ー を耕す場所。

耕す事をしっかりと手助けしてやったら、子どもらは人や物事と深く繋がる事が出来る。良好な人間関係を築けるようになるし、勉強や部活動などに主体的に取り組めるようにもなる。そうして、子どもたちはより良く育つ。

特に、中学生は「自立」を意識させることが必要や。

三年生の終わり‥  「15の春」には、子どもたちは、自身の手で進路を切り拓いてかないかんのやから。

そのために学校教育活動 ー 授業、学級・学年活動、部活動 ー が用意されており、それらがスムーズに行えるように、学級の先生は生活指導に力を入れる。

生活の仕方を整える事が、全ての教育活動の土台になるんやもん。

せやけど、今、生活指導がとてもしんどい状況になっている。

これには、二つの因が考えられる。

一つは、生活指導 ー もちろん指導する側の意識や方法にも改善すべき点があるいうことを、先生らはよォ心得ておくべきやけど ー に対する世の中や一部の保護者の無理解と非協力。

もう一つは、「子どもたちを育てる!」という先生らの情熱の低下。

そして、それらが併わさった結果・・・  「生活指導をする度にクレームがつくぐらいやったら、最初から何もせぇへん方がいい」となる。

でも、あからさまに何もしないのでは具合が悪いから、通り一遍の指導をしておいて ー 「あとは、子どもたちの自主性に任せます」と子どもと保護者に問題を丸投げしておいて ー アリバイをつくる。

ところが、世の中、そんなに甘いものではない。そんな姿勢はすぐに見破られるもので、結局・・・ 「最近は不熱心な先生

ばかりだ」などと、世の中や保護者からの信頼は失せていくばかり。

そんな厳しい状況下でも、子どもたちの「育ちのば」を整えようと頑張っている先生はいるし、そういう先生になるべく勉強している若者たちも、いる。

私は、そんな先生たちを応援したい ー 学年現場を離れたけれど、離れたからこそ出来る応援の仕方があるのではないか ー そんなことを考えて、これまでの学級現場での実践をまとめ直している。

この実践の記録が、先生たちが教育に対する情熱の炎を燃やし続けるための燃料の足しになればと願っている。

ちなみに、生活指導とは・・・

生徒指導とは、校則違反や非行・いじめなど、何らかの問題行動に対処するためのものをいう。

生活指導とは、そういうものだけでなく、挨拶や清掃・整理整頓、授業態度など生活の仕方に対するもので、「アカンもんはアカン」と、三年間を通して子どもたちを指導し続けるというもの。

それにしても、叱り続けることの、なんとしんどいことか。

でも、それは絶対に必要なことなんです。