#躾 しつけ

家庭でも、学校でも、子どもたちに「挨拶」をしなさい、と教える。

#挨拶は、とても大切なことだと思う。

他者の存在を認めることの第一歩であり、自分の存在を認めて貰うことの第一歩・・・ 子どもたちの社会性を育むのに、いい。

 

でも、その大切なことを一体どれだけの大人が出来ているのだろう、と思わされることが多くある。

学校の先生は、生徒に挨拶を「させる」ことに力を入れる。

大切なことなのだから、挨拶を教えるのは、いい。

でも、大切なことならば、「させる」より自分が「する」のが先ではないか? と思わされるような場面に出くわすことが多いのが、学校だ。

 

朝、「おはようございます」と職員室に入る。

「えっ、無視?」と思ってしまうほど、小さな声が返ってくるだけ・・・ しかも、顔はパソコンの画面を見つめたまま。

挨拶をしたことが迷惑だった? と、思ってしまう。

学校の周りを掃除するのを日課にしているが、通りかかる地域の人たちは、「おはようございます」とか、「ありがとうございます」と声を掛けて下さるので、こちらも先に挨拶をする。

しかし、校門に向かう同僚(?)の半数ほどは、こちらが掃除に没頭して俯いていると、素通り。

 

躾とは、その文字の構成する通り、子どもたちに「立居振る舞い」をきちんとさせることだと思う。

それは、「他者を大切にするのですよ」ということを教えるために、です。

ならば、そのことを教える大人が、他者を大切にしなければ・・・ と思うのです。

 

挨拶に限らず、子どもたちに何かを教えるのならば、自分が大切に思い、日々の生活の中で心掛けていることでないと、何の説得力もありません。

 

道徳の授業にも言えることです。