母親の苦しみ

学校で子どもを叱ったとき、間髪入れず母親から連絡・・・ いわゆる苦情の電話が入ることがあります。

「うちの子を叱らないでやって下さい」

「うちの子にも事情があったのです」等々。

お母さんは、帰宅した子どもの何かしら不機嫌な様子を見て、心配で仕方がない。

「どうしたの?」と、我が子に聞いても、「叱られた」「俺にも事情があったのに」と、単語に近い言葉しか返って来ない。

よく分からない・・・ 我が子が不機嫌なことは分かるのだが、単語がポツポツ返ってくるだけだから、経緯が分からない。

分からないから、想像に頼るしかない。

その想像は・・・ 我が子の立場に立つものだから、「我が子の不機嫌は、我が子の事情を鑑みず、一方的に叱られたことに原因があるに違いない」となる。

そこに、我が子が叱ららたのは、我が子にも原因があるのかもしれない、というような、我が子への疑いは、ない。

叱られたり、注意を受けることの多い子を持つ母親によく見られるケース。

そんな母親の心の奥底には、「私も、ウチの子の至らないところは分かっています。でも、どうしようもないのです。至らなさを分かってやってください」という思いがある。

 

だから、我が子を、庇う。

全力で庇おうとする。

でないと、母親が我が子と対決しなけばいけなくなる。

それは、とてむ苦しいことです。

母親だって、苦しさから逃れたい。

逃れるためには、我が子の事情や正当性を、とにかく押し出すしかない。

それが、学校の指導への反発・・・ 苦情となる。

でも、私たち学校の職員は、その場凌ぎの苦情に怯んではいけません。

せれは、これまでの母親(と父親)の子育てを継続させることに他ならないからです。

ということは、子どものこれからのより良い「育ち」を阻害することになってしまいます。

かといって、母親を、責めてもいけません。

母親の子育てのしんどさに共感しながら、子どもの内面に備えてやらねばならないものは何なのか、ということを理解していただくことが大切です。

何らかの問題を抱えている子どもたちの親は、苦しいんです。

「あの親は」と、決して切り捨てるようなことを、してはいけません。