この頃の事件に、「三方よし」を思う

儲けるためのええアイデアとそれを実行に移すことの出来る資金があれば、儲かるんやろな。

せやけど、何事もバランスっちゅーか、ほどほどにっちゅーか・・・ そういうことも考えとかなあかんのやろなー。

一連の回転寿司店でのイタズラ・・・ いや、もはや事件の報道を見てて、そんなことを思いました。

私は、出来るだけ安くていいモンを買いたいし、食いたい!

私だけやのぉて、世の中の大多数の人がそうやと思う。

せやから、回転寿司が登場したとき、「たくさんの客の前をクルクルクルクル回ってるような不衛生な寿司なんか食う気せえへんわ」って思ってた筈やのに、いつの間にやら回転寿司ファンになってた私です。

「なんや悪戯するヤツがおるんちゃうの?」

「間違ぉて皿を取って、またレーンに戻すヤツが居るんちゃうの?」

「クシャミするヤツ居るんちゃうの?」

当初はそんなこと思ぉてたけど、そんな不安もいつの間にやら・・・ ですわ。

消費者って、やっぱり「安さ」に惹かれるわなー。

で、その悪戯っちゅーのが・・・ 本来は悪戯っちゅーもんは人の目を盗んでコソッとするもんやねんけど、「IT」の進歩に乗っかって、悪戯した本人たちが自らの阿保な行為を広く世の中に晒しまくっとる。

コソッと悪戯する楽しさと、たくさんの人たちに観て貰えるっちゅー嬉しさのダブル快感を求めてるんやろなー。

ホンマ、阿保。

せやけど、お陰さんで、私も当初の不安を思い出すことが出来ました。

それにしてもやなー

今更やけど、客の安心・安全を考えたら・・・

回る寿司みたいな営業形態やったら、悪戯は、やっぱり、あるで。

例え百人に一人でも、千人に一人でも、あんな悪戯があったらアカンやん。

嫌な話やけど、あれが無差別殺人者やったらどうすんの?

っちゅー話や。

そんなことが起こってしもぉたら、最早、事件やで。

まあ、こんなこと言うてる私自身も、「まさか日本でそこまでは・・・」って思ってるくちやけどな。

似たようなことやけど、餃子とか、精肉とかも人件費がかからんからって、無人店がどんどん増えとる。

まぁ、昔から農村地帯では無人店はあった。

あったけど、そこに置かれてる野菜なんかは、出荷した後の残りモンとかやったんやないかな。

せやから、無銭で持ち逃げするようなヤツが居っても、「まぁ、しゃーないな。アホなヤツも居る」で終わっててん。

それが、儲けるために、それでも相応の資金繰りしてそういうお店を展開してるから、こんなことになってまうねん。

悪戯するヤツが悪い!

無銭で品物を持ってくヤツが悪い!

せやけど、商売の仕方も考えなアカンと思う。

昔の近江商人日本海〜琵琶湖〜淀川〜大阪湾を結ぶ流通の要地で、日本中の物流を担ってた商人・・・ だから織田信長天下布武の拠点として琵琶湖畔に安土城を築いた)の言葉に、「上手な商売いうんは、売り手によし、買い手によし、世間によし の三方よし」っちゅーのがある。

薄利多売は儲かるけど、ほどほどにしとかなあきません・・・ っちゅーことですよねー。

そもそもが、世の中・・・ 誰もが「買い手」であり、「売り手」でもあるんですからねー

 

ホンマ、嫌な感じ・・・

ITに長けてる人は、物事を・・・ いや、それだけやのぉて、人間にも項目を作ってスマートに分析しようとする。

物事も、人間も、その時々の状況に応じて様相も変わるもんやから、分析通りに扱われへん場合も仰山あるんやけどねー。

四角四面に物事や人を見ようとするんがあきません。

「これはこうやから、こうするんがいい」っちゅーて、分析通りに物事を進め、人に対応しようとするから、「想定外」に直面したら固まってまう。

「これはこうやから」いうんは、あくまでも「その時」「その瞬間」の分析に過ぎませんやん。

で、学校なんかの生活指導やら、保護者への対応を間違う。

例えば、「ものの言いよう」ひとつで、物事も、人間関係も、変わってくる。

せやろ?

納得いかんことがあっても、相手の出方次第では、「しゃーないなー」っちゅーて、辛抱出来ることは、仰山あるやん。

物事も、人も、生きてんねん。

常に変化してんねん。

心理学でも、教育でも、基礎基本は勉強しとかなあきません。

せやけど、得た知識を応用出来へんかったら、せっかく得た知識も宝の持ち腐れやな。

「なんたら教育が大事です」言うて偉そうにしてるどっかの大学の大先生が、普通の公立の中学校では、授業が成り立たんっちゅーのは、ある、ある、や。

自分の机の上とか、パソコンの画面上では成り立ってても、現実はそんなサパッとしたもんやないねん。

現実っちゅーのは、「白黒」やのぉて、「灰色」ばっかりやねんでー。

学校の生きてる子らが、無機物に飲み込まれてる。

この時代やったら、私、学校の先生にはなってへんかったやろなー。

嵐 去る

金曜日の昼頃に、末娘が子連れでウチにやって来て、夜に長男が元気有り余ってる兄弟連れてやって来て・・・ 二泊三日して帰りはりました。

今、嫁さんと二人でキレイすっきり片付いた部屋でくつろいでます。

長男も末娘も、寝る、寝る、寝る・・・ 二泊三日。

まぁ、末娘の子は1歳半ですから、子育てやら家事に疲れ切ってるんでしょうねー。

長男のバディも末っ子を託児所に預けながらのお仕事ですから、少しでもバディを楽にしてやろうと思ってるんでしょう、週末にはちょくちょく上の二人を連れてウチにやって来ます。

でも、長男もハードなお仕事ですから疲労困憊。

だから、金曜日にウチに来てから寝る、寝る、寝る・・・ でした。

嫁さんは、我が子たちを少しでも休ませてやろうと心を砕き、孫たちのお風呂やら食事やらにも準備万端で臨むも、まぁ、二泊三日が限界ですね。

私?

私も孫たちを連れて買い物やら散歩やらお風呂やら・・・ やってますよー。

でも、やっぱり二泊三日が限界ですねー。

で、今日の最後の晩飯のときにオモロイことがありました。

長男の二人の子たちに、「こらっ」「こらっ」「こらっ」・・・ と、口喧しく言いながら食べさせて、ようやく晩飯も終わり、片付け始めたらときのこと。

長男も、さすがに自分も片付けなアカンと思ったのでしょうね。

食器を運び始めたんです。

そのとき・・・

バジャー!

長男が汁物の入った器を落としてしまいました。

その瞬間、嫁さんの眉間にタテジワ&こめかみに💢!

二泊三日の疲労が、怒りに変わった瞬間でした。

長男はもちろん、末娘も、孫たちも、私も、凍りつきました。

そんな中、長男の後ろで・・・

長男の長男(つまり小学1年生の私の孫)が、ヒッヒッヒ・・・ と笑ってたんです。

いつも厳しい自分の父ちゃんが粗相をして固まってるのがオモロかったんでしょうね。

これは、ホンマ、オモロかった。

それでええんやと思います。

厳しく怖いお父ちゃんにも、そういうことがあるんやと思えるようなこともないとあきません。

それは、学校の先生と生徒の関係においてもおんなじです。

時鐘(じしょう)

文明開化の世・・・ 近代化の号令下、文明の利器が日本に取り入れられた。

陸蒸気の開通で、それまで何泊も要した旅程が一日もあれば十分となる。

とても便利になった。

訪う先方さんのことをあれこれと考える間もなく目的地に着いてしまう。

これから出会う先方さんとのやりとりをあれこれと考えるから様々なことを予測し、覚悟もできる。

手早く物事を進めることのできる便利な世の中では、そうはいかない。

時鐘というのは、文明開化以前に、時報として寺で突いた鐘のこと。

明け六つ(午前六時)の鐘は朝飯の合図で、暮れ六つ(午後六時)の鐘は夕飯の合図。

寺で突く鐘の音で世の中が動いていた。

しかし、この時鐘はどの寺でも一斉に突かれるわけではない。

お江戸八百八町でいうと、まず上野の寛永寺あたりで鐘が突かれ、その音を確認した寺が鐘を突き・・・ てな具合に、時差ができる。

音の伝わる速さというものは、稲光の後、間の抜けたようにドン!ですからね。

ですから、ちょいと遠方の知り合い宅を訪ねるのなら、自分が耳にした時鐘で家を出てはいけません。

うっかり、飯時に訪うてしまっては無作法というものですから。

各々が「頃合い」というのを見計らわなければいけません。

それでも、先方さんにとって迷惑な訪問になってしまうことも、ままある。

そこはお互い様。

訪われる方も、そういうことは想定内。

「とんだ時分にお邪魔してしまいました」

「いえいえ、ちょうど余分がありますので、ご一緒に」と快く迎える。

大まかな時間の流れの中で生きていた人たちの「大らかさ」です。

それが、文明開化とともに日本で使われ始めた時計によって、「きちんとした」時間の流れの中で生活するようになった人たちは、「きちんと」から少しでも外れるようであれば、「だらしない」と断じるようになった。

「大らかさ」が、便利で豊かな生活の充実とともに、なくなってきた・・・ 。

昔なら「まぁまぁ」と許し合うことができた「間違い」にも目くじらを立てるようになってしまった。

かの夏目漱石の文明論。

著しい社会の進歩に、人間の心が置き去りにされてしまう・・・ は、まさに現在の世の中を予言していたように思う。

 

 

便利で快適な世の中仁ご用心

醤油ペロペロとか、ポテトを抜くとか、コップを舐めるとか、生姜を取っては丼からこぼすとか・・・

回る寿司、牛丼屋での阿保な映像がニュースで流される度にイラッとくる。

周りの視線を気にして黒目を忙しく動かしながら・・・ ビクビクしながらそういうことをしてる子らの姿を見てたら、ホンマ、イラッとくる。

っていうか、そういう情け無い自分の映像をなんでわざわざ動画に撮って世の中のみんなに見せようとするんやろな。

そこが一番、イラっとくる。

大体がやな、悪事は誰にも分からんようにするもんや。

悪戯もおんなじ。

っちゅーことは、その子らは、自分がしてることを悪事やと思ぉてないんやろな。

ただ、目立ちたいだけか・・・

ただ、目立ちたいがために阿保過ぎる動画を世の中に流す。

で、どえらいことになってから、シュンとなってまうねん。

ま、動画を観ても、あのビクビク感がなんとも言えんぐらい・・・ 私まで恥ずかしくなってしまうようなモンやもん。

あの子らがこれまで育ってきた環境が、あの子らにああいうことをさせてしもたんやろなと思う。

せやけど、どの子もそこそこの年齢やねんから、相応の罰は受けなアカン。

しれは、しゃーない・・・ 。

しゃーないと思うし、アホんだら!とも思うんやけど、なんか、今の世の中・・・ 誰もが簡単に、そのときのノリで「悪事」を働いてしまうような環境になってるよなー。

携帯、インターネットの普及に伴って、誰もが簡単に「犯罪者」になってしまう。

携帯とか、インターネットの普及がなかったら、「犯罪者」になんかならんかったような子まで犯罪者になってしまいやすい世の中。

便利で快適な世の中にご用心やな。

 

 

 

合掌

合掌・・・ 手を合わせるとき、人は自然と背筋を伸ばす。

人に、物事に、向き合うことの心地良さが、そのようにさせるのだと思う。

向き合えば、何かが生まれる。

両の掌を合わせれば、パンといい音が出るように。

で、「あっ」と、思わず感謝の念を抱くのでしょうね。

それが、合掌の心。

そんなことを思いながら、キッチンの換気扇の下からリビングでTVを観てる嫁さんに静かに感謝しました。

知り合ってから43年。

向き合い続けてくれたのですからね。

感謝、感謝・・・ 合掌。

 

 

 

 

リスキング?

「学び直し」って言うたらええのに、何でわざわざ横文字?

しかも、産休・育休を利用してキャリアアップって・・・ ホンマ、生活感を感じられへん政治家が多いな。

子育てっちゅーのは、片手間で出来るもんやないねん。

ほいで、学校教育の指導要領にも横文字が出まくってるけど、それって、物事を曖昧にしようとしてるんかな。

曖昧にしようとするってことは、実は、「こうすればイイ」ってことが、実のところ分かってない。

分かってないけど、何か提言せなアカンって、焦ってるんかな。

大事なことは、誰もが理解出来るような日本語でお願いしたいもんです。

でないと、子育てをする親も、学校の先生も、困りますやん。

結局、現場任せ。

でも、主導権は握っていたいっちゅーことやな。

それって、誰のため?

国民のためではないわな。

お願いですから・・・ せめて、横文字やのぉて日本語で、わかりやすく言うてください。