私、浅田次郎の本が大好きなんです。

特に、新撰組三部作の「壬生羲士伝(上下)」「輪違屋糸里(上下)」「一刀斎夢録(上下)」が大好きで、何度も何度も読み返してます。

世の中がどう流れて行こうが・・・

情を貫く。

羲を貫く。

そんな女や男の物語。

私、一週間に二冊ほどのペースで本を読むんですが、この一年は、ひたすら新撰組三部作を繰り返し繰り返し読んでます。

読む度に、それまで見落としていたことに気づき、新たな感動を得ています。

私は歴史・・・ 特に幕末が大好きで予備知識もありましたから物語が入りやすかったのですが、歴史が詳しくない方も、繰り返し読んでいると分かってきます!

読んで下さーい!

 

 

新しい発見は、いい

立ち位置が変わると、それまで見えなかったモノが見える。

私、中学校での勤務がほとんどでしたが、勤務校が変わる度に新しい発見がありました。

途中、他地域(市外)の学校で7年ほど勤務しましたが、新しい発見の連続。

新しい発見というのは、いいですね。

考えが深まります。

見て感じる。

聞いて感じる。

感じるから考える。

新しい発見が多いと、考える回数もその分増える。

初めての転勤で、「ぜんぜんちゃう」。

市外への転勤で、「ぜんぜんちゃう!」。

小学校で仕事をしたこともあるのですが、

「ぜんぜんちゃーう!」

退職した後、私立の高校にも行きました。

「ぜんぜんちゃう!」

あっ、そういえば、私、退職してしばらくの間ゴロゴロしてたのですが、遂に嫁さんの怒りを買い「ここに行って小遣い銭ぐらい稼どいで!」と、ある日のこと携帯の画面を突きつけられたんです。

「発掘現場の作業員求む!」

「そんなもんチョチョイのちょいや」と連絡をとって即採用。

あれはよく晴れた夏の日。

一張羅の作業服を身につけて事務所前に集合。

何人かの人から「おたく、経験者ですか」と訊かれるくらい、作業服姿が板についていたはずの私・・・ は、ドヤ顔。

ところが、弁当を食べ終えて一服つけてたら、足が攣ってきたんです。

そして、あれやあれよという間に下半身全体がが完全に攣ってしまいました。

熱中症と斜面での土木作業で筋肉疲労

なんとも言えぬ痛さで動けませんでした。

早退・・・ 事務所からお迎えがきて、家まで送り届けていただきました。

それから3日間はアウト。

それでも、4日目には現場に復帰して1ヶ月頑張りました。

この仕事は、もう「ぜーんぜん、ちゃーう!」。

現場仕事の貴重な体験となりました。

新しい発見だらけ。

世の中のことをあれこれと考えさせられた1ヶ月でした。

まぁ、この話は番外編として、去年の4月から1年間勤務した特別支援学校での新しい発見の数々は、教育・・・ 子育て・・・ 子たちの育ち・・・ 人生・・・ について、深く深く考えさせられました。

で、学校の先生の研修について思うのですが、児童生徒たちに、「主体的な学び」を言うのなら、異種学校間の交流(1年間の体験)を取り入れたなら、先生たちは大変わりすると思うんですがね。

 

 

 

ドリンク with M

この間の土曜日、○○中学校の卒業生Mと、ちょっと一杯やってきました。

この春、大学を卒業。

確か、今日が入社式。

で、その足で赴任先の名古屋に向かったはずです。

大阪に本社のある会社で、勤務地も、ある程度は希望も考慮してもらえたらしいのですが、本人が名古屋を希望したそうです。

M曰く、「何もかも新しい環境の中でやりたかった」 いいですねー。

私は、Mのそういう心意気が大好きです。

私も、30代後半に、○○市の中学校から△△市の中学校に配置換えしてもらいました。

こういうことは、レアケースなんです。

慣れた環境で仕事を続けるのが無難ですものね。

でも・・・

私、「学校教育は、こうあるべきや!」と、○○市の中学校で我を押し通してたのですが、ふと、思ったんです。

「今、こうして自分の思うようにやってるけど・・・ これって、他所でも通用するんやろか?」と。

△△市の中学校での最初の2年間はしんどかったですね。

ホンマ、しんどかった。

で、7年、△△市の中学校で自分の思うところのことを確かめて、○○市に戻りました。

△△市の中学校での確認作業は自信になりましたよー。

○○市の中学校に戻ってからは、腰を据えて仕事が出来たと思っています。

腰を据えて仕事をするって、ホンマ、しんどいんですが・・・ でも、その分、楽しいんです。

Mにもそんな話をしました。

自分のことも思い起こしながら、Mの心意気に心から拍手を送りました。

実のところ、中学校時代のMは、どの先生もお手上げって感じの子でしたから・・・ それだけに、Mの心意気が嬉しかったし、飲みに行けたのが嬉しかった。

卒業生たちの卒業後の頑張りを聞かせて貰うのが、今の私の何よりの喜びです。

 

仕事してるウチが花かな・・・

退職してから4年が過ぎようとしてる。

この4年間も仕事はしてたけど、私は、何かを作り出そうという熱い気持ちで仕事をしてこなかった。

何かしら収入が欲しいから・・・ という気持ちで仕事をしてきた。

オモロないなー。

中学校の教員やったんやけど、「一人でも、より良い人生に導けたら」「そのためには、学級作りや! 学年作りや! 学校作りや!」と思いながら定年までやってきたけど・・・ 定年後は、一年刻みの雇用やもんなー。

そんなこと出来へん。

っちゅーか、そんな熱量も無い。

まぁ、三人の子たちもそれぞれに家庭を持って、嫁さんと二人でのんびり生きてますけど、なんか・・・ 物足りん。

子たちが孫を、連れてお泊まりに来てくれるのが嬉しいんやけど・・・ けど、やねんな。

これが、仕事の一線を引いたモンの幸せなんかなー。

大学の軽音の先輩から声を掛けて貰ォて、東京までレコーディングに行ってYouTubeで歌わせて貰ってて、それはそれで楽しいんやけど、どうもなー。

やっぱり、仕事いうんが人間の生き甲斐なんやろな。

で、話が逸れるけど・・・

前回、「主婦」っちゅータイトルでグダグダ書いたけど、「主婦」っちゅー仕事を全うするって凄いな、と思う。

24時間営業で収入もなく、世の中に認められるのでもなく、それどころか、軽い評価しかされへん。

でも、私にとって、「主婦」を全うしてくれた嫁さんがおったから、仕事に専念出来た。

今も私の横で、明日のお弁当の準備をしてくれてるんです。

「仕事してるウチが花かな・・・」というタイトルで書き始めましたが、「仕事させてもらってるウチが花かな・・・」の方がええな。

 

 

主婦

家事って大変!

子育てって大変!

家族の食事(何人ものお弁当を作らなければならないこともある)が、大変。

朝昼晩のメニューに頭を悩ませ、雨の日も風の日もお買い物に行かなくちゃならないこともある。

そのついでに、歯ブラシやら歯磨き粉、爪楊枝、石鹸、シャンプー・・・ その他、生活に必要なものも買い揃えておかねばならない。

そして、お料理に後片付け。

掃除に洗濯もある。

赤ちゃんがいれば、オムツを変えねばならないし、夜泣きもある。

睡眠時間も十分にとれない。

子どもたちの宿題や持ち物のチェックも大変。

子どもたちが部活動をするようになったら、これまた大変。

半端ない汚れ物の洗濯もあるし、休日も早朝からの練習やら試合やら・・・ あっ、そのためのお弁当も作らなきゃならないし・・・ 。

ホンマに大変!

だから、私、嫁さんに頭が上がりません。

長男を自転車の前に乗せて、お腹に長女を抱えて、私が忘れたお弁当を職場まで持って来てくれたことは、ホンマ・・・ 忘れられません。

だから、お小遣いを貰うときも、「無駄遣いしなや!」と毎度毎度いわれるのですが、ただただうなづくだけです。

そう、お金の管理も嫁さんです。

「私は結婚したら働きに出ぇへんで。そのかわり、家のことは任しとき」と宣言した通りに、嫁さんは、家事も三人の子育ても見事にこなしてくれました。

その三人の子たちも、それぞれに自分の家族を持って幸せにやってくれてます。

ちょっと話は変わりますが、三人の子たちの子・・・ つまり孫たちは、お年玉やクリスマスプレゼントや誕生プレゼントを手にして「おばあちゃん、ありがとう」と言います。

嫁さんが、「おじいちゃんとおばあちゃんからやで」と孫たちに教えるも・・・ 「だって、おじいちゃんはお金持ってないやーん」。

まあ、いいんですが、それが主婦の偉力というものなんでしょうねー。

なんだか、今の世の中、「主婦」というのは女性を縛りつけるようなものだと言わんばかりの風潮です。

でも、それって・・・ 主婦を馬鹿にしてるというか、主婦の仕事を軽んじてるとしか思えません。

私、仕事に専心出来たのは、嫁さんが主婦という仕事に専心してくれたからだと感謝しています。

嫁さんにも、主婦としての矜持がある。

これも、家族の役割分担ではないでしょうか。

もちろん、夫婦がそれぞれに世の中に出て仕事をして、仕事をすることによって生き甲斐を感じるのもいい。

それは、全然悪いことではないと思う。

いやいや、いいことです。

家事や子育てを分担するのも、いいことです。

でも、私が仕事に専念して生活に必要なお金を稼いできて、それを嫁さんが家事や子育てに使うという役割分担があってもいいでしょう。

もちろん、私も家事やら子育てをしなければいけません。

でも、嫁さんが、私が稼いでくるための仕事に専念しやすいようにする、という有難い気遣いをしてくれることも必要。

夫婦の共通理解の下、「家事」という仕事と、「稼いでくる仕事」という役割分担が出来ていればそれでいいと思うのですがねー。

子どもたちが家に帰って来たときにはお母さんが居る。

私が帰宅したときには嫁さんが居る。

子どもたちも、私も、それだけのことでどれだけホッと一息つけることか・・・ 。

主婦という仕事は、とても大切なものだと思うんです。

学校現場で重点置くべきは・・・

今も再雇用で学校現場に居るけど、先生たちが一生懸命に時間と労力をかけてるとこが、どうもちゃうねんなー。

何回か書かせてもらったと思うけど、評価の仕方ばっかり気にして、まるで「評価」の文章表記ありきの教科指導、教育活動になってる。

これ、学校現場の真面目な先生たちにとって、まるで最重要課題になってる。

こんなん、アカン!

まずは、学校現場の先生たちが、目の前の生徒たちに「何を伝えたいのか」「何を教えたいのか」を定めるところから教育活動を考えるべきやな。

それが、評価ばっかりに気をとられ、時間をとられてる。

こんなん、アカン!

例えば、修学旅行・・・

生徒たちに何を学ばせたいのかを、まず、考えなあきません。

私、○○中学校で平和教育をテーマに、阪神間では前例のなかった沖縄行きを考えました。

これまでは、平和教育と言えば広島か長崎でしたが、民間人も戦闘に巻き込まれた沖縄戦を計画したんです。

でも、飛行機を利用してまでの修学旅行が阪神間・・・ 兵庫県下でも前例がなかったため、「何故、沖縄なのか」を教育委員会に納得してもらうところから始めねばなりませんでした。

また、卒業式を控えて、みんなで過ごした三年間を振り返るための学年合唱も計画したりしました。

ものすごく手間のかかる取り組みですが、そういうことが出来た時代に現場で仕事が出来たのも、今のように、文科省のお達しである「評価の仕方」に縛られなかったからだと思います。

文科省のお達し・・・ って、何なんでしょうねー。

文科省が出した「ゆとり教育」も、何年か経っただけで見直されたのにねー。

現場の先生方には、文科省のお達しに真面目に応えるのではなく、「は?」ぐらいの気持ちを持って貰いたいなー と思います。

 

 

 

 

言いたい放題のコメンテーターたち

中学校に高校生が刃物を持って侵入。

それを60歳・・・ 定年を迎えようとする先生が何箇所も切られながも取り押さえた。

そういう事件が、あった。

女性コメンテーターが言うた。

「そんなことになる前に、なんとかならなかったのでしょうか」と。

っちゅーことは、完全に学校を閉鎖しましょってことなんやろねー。

ほんなら、門扉を閉じておくだけやのぉて、各門に警備員を置きなさいっちゅーことなんやろねー。

ということは、学校にやって来る人を徹底的に調べた後に入校を許すべきっちゅーことなんやろね。

予算が許せば、それは可能やと思います。

思うんやけど・・・ そうすることで、大多数の人たちが「学校に入るのに、そこまで調べられなアカンの?」って声をあげるのは目に見えてますけど。

で、そういう声が出始めたら、今度は・・・

そういうコメンテーターさんたちは、言うんやろねー。

「開かれた学校でなければなりません」と。

この頃、無責任で、言いたい放題のコメンテーターが多いよなー。

アナウンサーもそうやけどな。

物事、もっと深いとこまで考えてモノ言わなアカンよなー。