人に対する情 教育にかける熱

学校教育について、教育の方法ばっかりが言われる。

そんなもん、教員各自が身に付けていくもんや。

失敗しながら、ああやこうやと悩みながら身に付けていくもん。

ほいで、ええ感じの授業方法を見つけたり、生活指導上のコツを掴んだりしたときに、「よっしゃ!もっとやったるでー!」ってな感じで、自信が更なる意欲に繋がんねん。

そういう心が元気で、前向きな先生こそが、子どもらの心をええ感じで刺激すんねん。

授業そのものが下手くそでも、喋り方がたどたどしくても、子どもらは、そういう先生に刺激されるねん。

文科省のお達しを受けた都道府県教委、市町村教委が学校を指導する。

「こういう教育をこんなふうにしていきなさい」と指導する。

ほいで、あれやこれやと研修をさせようとする。

大学の先生を呼んで「机上論」に過ぎない授業方法やら、生活指導方法なんかを学ばせようとする。

今どきの真面目な先生らは、それが絶対的なもんとして、それを「間違いのないように」一生懸命に実践しようとする。

目新しい教育法みたいに文科省のお偉方やら大学の先生らが言うてることなんか、一生懸命に熱を持って教育に取り組んできた先生らは、とうの昔に実践の中で見つけてるっちゅーねん。

ただ、そういうことにわざわざカッコいい横文字の名前をつけてへんかっただけや。

「間違いのないように」どきどきしながら教育にあたってる先生なんかに、子どもらがええ感じの刺激を受ける筈あらへん。

学校の先生に必要なんは、「情」と「熱」やねん。

でもなー

それが許されへんような教育現場やもんなー。

せやけど、そんな教育現場やからこそ、はっちゃかめっちゃかな先生が欲しいよな。