学校の先生の仕事はブラック
「新任の先生はどんどん辞めるし、成り手もおらへんし・・・ 学校が人手不足になってるんは、ブラックやからって言われてるみたいやけど、どう思う?」
「真っ黒やで」
「せやけどやー、俺らが生徒指導とか部活とか
ガンガンやってた頃の方がえげつなかったと思うんやけどなー」
「それはそれでブラックやったと思うけど、そのブラックも楽しかったやん」
「1年のうち、355/365はガンガンやってたもんなー」
「お休みは、盆の数日と正月の3日だけ」
「好きなことを好きなように、やりたいことをやりたいようにやってたもんなー」
「そう、そういうふうにさせてもらえるような世の中やったな」
「生徒らと思いっきり笑ぉたり、思いっきり汗流したり・・・ 生徒らを思いっきり叱ったり、させてもらえる世の中やった」
「父ちゃん、母ちゃんらも、俺らを育ててくれてるような感じやったなー」
「粗相したときには、父ちゃん、母ちゃんらに叱られもしたけど、“すんませんでした”いうて頭下げたら許してくれた」
「お陰さんで、教え子らともしょっちゅう飲みに行ける」
「ホンマ、それ・・・ しんどいときもあったけど、総括したら楽しかったし、今も、その楽しさが続いてるもんな」
「そもそもが、学校の先生の勤務形態と他の仕事のそれを同じように考えたらアカン」
「せやのに、いつの頃からか、夏休みとか、休校のときの勤務時間のことが喧しく言われるようになった」
「生徒指導のときなんか、オールナイトなんか当たり前やったのにな」
「それで残業手当てがつくんかいうたら、そんなもんあらへん。別に誰もそんなもん求めてへんかったけどな」
「部活も、休日にやっても500円ぐらいやったもんな」
「時給やのぉて、日給やでー」
「「ブラックがなんやねん!」」
「「好きでやってたんじゃい!」」
「せやけど、今の先生らの仕事見てたら、可哀想になってくるわ」
「通知簿の付け方のなんとややこしいことか」
「通知簿つけるために授業してはるもんな」
「授業って、担当する先生が自由自在に行うもんでないと、生徒もオモロないで」
「ICTを導入せなアカンいう強迫観念からやろか・・・ 無理にそういうのを使って授業する先生もおるしな」
「ほいで、教卓で身を屈めてパソコンの画面ばっかり見て授業を進めよる」
「授業の面白みいうんは、生徒らとのやりとりにあんのにな」
「そのやりとりを身につけるのに、吉本新喜劇は参考になったわー」
「ICTの弊害は、まだあるで」
「ホームページ担当や」
「あれ、いる?」
「要らん!」
この間、私と同じく再任用でお仕事してる昔馴染みとの会話です。
今、学校現場では深刻な人手不足です。
勤務時間を正すのが、ブラック脱却の喫緊の課題だと文科省は言っています。
は? ですね。
先生たちが、それぞれの個性を出しまくりながら仕事が出来るようにすることです。
「こうするべき」のお達しが多過ぎます。
現場の先生たちは、明るく元気に笑いながら仕事が出来てません。
先生たちから笑顔がなくなると、生徒たちの笑顔もなくなります。
家庭でもそうですよね。
親が笑顔だと、子も笑顔。
どうする?
日本の学校!
学校って、子どもたちに何を教えるところなのかということを、改めて考えなければいけません。
そもほもが、学校の先生の仕事ってブラックなのですから。