特別支援学校

特別支援学校とは、何らかの特別な支援を必要とする子たちが教育を受けるところ。

人として成長するための教育を受けるところ。

特別な支援を受けるためだけにあるのでは、ない。

そして、人として成長するためには、むしろ「心」の成長が不可欠だ。

しかしながら、重度の肢体不自由、或いは意識すらあるのかないのかも分からない子たちを預かる特別支援学校では、「身体」や「心拍数」が重視される。

当たり前ですね。

大怪我や生死に関わることなのですから、当然ながらそれらのことは重視されなければならない。

そして、そういう特別支援学校では、「身体」「心拍数」などの健康状態の維持に重きが置かれるようになる。

硬直しがちな身体の様々な部位を緩めなければ、身体の健康状態を維持しなければと・・・子たちにとって良かれと思われる課題を日々こなすことが教員の務めなのだと「思い込む」。

「思い込み」は怖い。

しかも、思いの丈を十分に吐き出せない重度の障害を持つ子たち、意識があるのかないのかも分からない子たちに対する「思い込み」は怖い。

確かに、身体の様々な部位をほぐすことで身体の動きは良くなる。

なるのだけれども、「今はしんどいねん。何もしたくないねん」と、子たちが思っていることもある筈だ。

でも、「今、こうしてやることがこの子のためになるのだ」という「思い込み」が特別支援学校の多くの教員にある。

「今、こうしてやることがこの子のためになる」というのは、実は、「私はやるべきことはしています」という、心理学でいうところの「自衛」。

そういうことが罷り通ってしまうのが、特別支援学校。

一般学校と違い、子たちは反抗しないのですから。

心よりも、目に見える身体の状態にばかり拘る教員の多い現在の特別支援学校では、つまり教育は行えていないと、私は思う。

付け加えるならば、特別支援学校の多くの教員は、一般学校で子たちに教育を施すことは出来ないと思うのです。